もうすぐ22年・・・!

1995年1月17日 5時46分52秒に発生した「阪神・淡路大震災」

私も被災者です。

あの日から1月17日は特別な日になりました。

この日になると当時のことを思い出します。

決して忘れてはいけない!

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阪神・淡路大震災の当日

地震発生時は寝ていました。

ドン!と突き上げられる感じで目が覚め、
「地震かぁ!」って思い、再び寝ようとしたら激しい横揺れがずっと続きました。

私はベッドにしがみつき、住んでたマンションが倒壊すると思いました。

揺れがおさまり、父親の声が聞こえ、リビングに家族5人がそろいました。

私のベッドは大きく移動しており、タンスや本棚等は、
すべて横たわってました。

当時はまだインターネットも普及しておらず、携帯電話も普及していない時代。

TVをつけても、つかない。

情報がまったくなく、何が起こったのかわからない状態。

当時はマンションの11階に住んでいました。

外を見ると、同じマンションに住んでいる人が、外に避難している。

私は前日から熱が39℃ほどあり、
この日も地震発生時は熱のことを忘れていました。

時間の経過とともに、熱が原因で立っていることができない状態に。

でも状況が気になってしかたない。

外が明るくなってきて、ベランダで西の空を見ると、真っ赤でした。

私が小学校を卒業するまで住んでいた神戸市長田区の街が燃えていることが原因でした。

友達がたくさんいる。

今すぐにでも自転車で長田区まで行きたいが、体が動かない。

「クソ!」って思い、動けない自分自身が情けなかった。

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朝の8時ぐらいにTVがつきました。

どのチャンネルも「阪神・淡路大震災」の報道番組が。

その時に被害の大きさを初めて知りました。

1月17日の23時過ぎに、大阪に住んでいる叔母から電話がありました。

朝からずっと電話をかけていてくれていたようですが、ずっとつながらなかったようです。

「こっちにおいで」とのこと。

父親は経営している会社のこともあり、
もう少し神戸にいるとその時に伝えたのですが、電話を切ってすぐに大きな余震が。

その余震後、すぐに家族全員で大阪に避難することにしました。

国道は大渋滞。

神戸から大阪なので東に向かってました。

国道で西行(神戸方面)の道路を一車線、警察の方だったと思うのですが、
車を通さないようにしていました。

「なぜだろう!」って気になっていたのですが、その理由はすぐにわかりました。

たくさんの自衛隊の車両が神戸に向かって走っていく。

「みんなを助けて!」と何度も自衛隊車両を見ながら、心の中で叫びました。

大阪に着いたのは朝の6時過ぎでした。

普段は車で1時間弱で行けるのですが、6時間ほどかかりました。

叔母の家に着いてすぐにTVを見ました。

神戸の状況が気になるから。

午前中に叔母に病院に連れて行ってもらい、私の診断はインフルエンザでした。

1週間後、神戸に戻り、復調していた私は自転車で長田区へ。

実際に見る光景はつらいものがありました。

倒壊した家ばかりで、電線は切断して垂れている状態。

本当にここは私が生まれ育った場所なのか。

長田区へ近づくにつれ、そのように感じました。

当時、私は神戸市中央区に住んでいたのですが、
建物の倒壊等は少なかったです。

友達は全員無事でした。

阪神・淡路大震災の追悼式

現在、神戸市に住んでいる半数の人は震災を経験していない人と言われています。

私の周りは震災を経験している人がたくさんいます。

先日、東京に行った時、「神戸市生まれの神戸育ち」と伝えると、
最初に「阪神・淡路大震災」のことを聞かれました。

1月17日

この日は特別な日です。

私は毎年、神戸市役所に所にある東遊園地で開催される追悼式に行っています。

この日は神戸のあらゆる場所で追悼式が開けれます。

東遊園地で開催される、阪神・淡路大震災の追悼式の詳細は、
下記の神戸市のHPを確認してください。

阪神淡路大震災1.17のつどい(外部リンク)

風化をさせてはいけない!

震災を経験した私達が後世にまで伝え、
決して風化をさせてはいけないと思っています。

震災から22年!

完全な復興はまだしていないです。

借り上げ復興住宅のことなど、問題はまだまだ抱えています。

明日、22年目の1月17日を迎えます。

当時の写真を下記のHPで見ることができます。

阪神・淡路大震災「1.17の記録」(外部リンク)